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「裸形のデザイン フランス」

ヴィトラ・デザイン・ミュージアム ドメーヌ・ド・ボワビュシェにて開催中の
「裸形のデザイン」についてのフランス国内メディアの記事を、山口デザイン事務所のスタッフ
宮巻麗さんが翻訳してくださいました。


http://www.boisbuchet.org/

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<SUDOUEST>


「純粋なる日本製品

ボワビュシェ城でこの夏開かれている展覧会は、
戦後日本で生産されたアルミニウム製品についての物語である。

「日本は貧しい時代も、創造の美学を捨てることはなかった」
ヴィトラ・デザイン・ミュージアムの創設者、アレキサンダー・フォン・フェゲザック氏は
こう語る。彼が夏のヴァカンス期間中に自らの個人美術館、に招聘した展覧会は、
この視点を我々に示す。「裸形のデザイン」は、戦前から戦後まもなくの日本において、
アルミニウムによって作られた日用品の、シンプルな美しさを見せてくれる。


容易に再生が可能
1910年〜1960年代に作られた、道具、調理器具、家具やおもちゃなど200点余が、敷地内のシャトーに展示されている。老朽化した展示室が、貧しさから生まれた製品と完璧に共生している。
なぜアルミニウムが、敗戦国であり、経済活動が急激に下降した国である日本で盛んに使われたのか。それは、この素材が簡単に再利用でき、変形も容易であるからだ。


これらの展示品をコレクションしたのは、日本人のインダストリアル・デザイナーと、アーティストの2人である。彼らは集めた製品の塗料やマーク、装飾をはぎとり、純粋なる「裸形のデザイン」を再発見した。アレキサンダー氏はこう評価する。「これらは明らかにヨーロッパで作られた物ではありません。ここにはまったく別の次元、別の仕上げ方が見てとれます」展覧会は、毎年夏にこの施設で行われているプログラムの一環として開催されている。シャトー(城)のかたわら、ドメーヌ・ド・ボワビュシェ内の別の建物では、毎年6月から9月にかけて、36ものデザイン・ワークショップが行われている。講師は著名なデザイナーで、学生たちと様々な新しい試みがおこなわれている。
しかし展覧会はまた、我々の消費社会に一石を投じることも望んでいる。


理解の鍵
「世界的な経済危機の時代にあって、この展覧会は、必ずしも新しいものを作り出す必要はないのだということを示しています」
アレキサンダー氏はこう熱弁を振るう。
すっかり日本文化に感心している様子だ。日本や日本の歴史、文化について特によく知らない来場者にも、理解を助ける鍵は全て展示場内に示されている。
まずイントロダクションとして、歴史的背景の説明文がシャトーのホールに展示され、来場者を迎える。
さらに各展示室はテーマごとにわかれていて(家、台所、文具、遊び、宗教)、解説パネルと大きな写真が理解をより深めるために展示されている。一室には、日本のニュース映像を集めた数分程度の短い映像を流し、日本の日用品の歴史や、戦後の大量消費へと向かう時代の、日本人の知恵について解説を加えている。これも、とても興味深い「おまけ」である。

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<Charente Libre>


Boibuchet へ

100人近い学生や研究者たちが毎夏、デザインのアトリエに参加しにシャラント県、
リモージュへやって来る。レサックにあるこのドメーヌは、観光客にもその門を開いている。

英語、スペイン語、ドイツ語、フランス語…納屋で行われるアトリエでも、長テーブルを囲んでの食事でも、湖のまわりを散歩しているときも、講演のあと皆で議論する時も、さまざまな言語が飛び交う。さまざまな国籍が集い、関係が築かれ、考えが深まり、アイデアが生まれる。
ようこそボワビュシェへ。ここはレサック、ヴィエンヌ川沿いの、150ヘクタールに及ぶ敷地内が、すべてデザインに捧げられている。世界中からやってくる学生たちは100人以上。皆、この思索の、創作の、出会いの場に吸い寄せられてくる。およそ20年前、アレキサンダー・フォン・フェゲザック氏の情熱とイマジネーションから生まれた場所だ。


アート・コレクターであり、デザインに関する著作も多数ある彼自身が、まさにこの「メルティング・ポット」の象徴のような存在だ。ドイツに生まれ、アルザス地方とシャラント地方を行き来し、さらに日本、韓国、中国、台湾へ通う…。「新しいアイデアがどこから来るか?」彼は考えながら答える。「新しい素材や変化するテクノロジー。それだけでなく、別の文化にふれること。文化の交流は、我々に全く新しいものをもたらしてくれる非常に重要なソースです。」


この日は、ワークショップの学生がセラミック、布、紙など様々な素材の上にセリグラフィーを
試していた。また別の場所では、目に黒いアイマスクをし、耳栓で耳を塞ぎ、5感に関する実験をしている者も。「今週は15カ国の学生が来ています。」そう笑って話すのはイタリア人、Jacopo Sarzi。アトリエの責任者で、PCまわりのサポートをしている。「毎週金曜日はワークショップ参加者全員がプレゼンテーションをします。経験を分かち合い、様々なものの見方を知るよい機会です。」ワークショップ中の1週間、学生たちは、時には夜遅くまで、調査や実習、実験に没頭する。「誰も夜に街へ出かけたいなどとは言い出しません。面白い話を聞き逃したくないのです。」数日後には、彼らはワークショップを終えてここを去り、また新しい学生がやって来る。
例えば、アイスランド人のSigga Heimis。イタリアで様々な学位を取得し、スウェーデンで数年間、IKEAのデザインをしていた人物だ。あるいは、韓国人Byung Hoon Choi。彼は木や石の静謐な作品を作る。またあるいは、英国人のPaul Haigh。彼はニューヨーク州にあるガラスの美術館、コーニング・ミュージアムから派遣されてきた。


「ここのアトリエのプログラムは世界一充実していると思います。
今年は36のプログラムがあります。」アレキサンダー氏は嬉しそうに敷地を案内しながら、
そう付け加えた。現在、「裸形のデザイン」という展覧会が開かれているシャトー、傍には樹齢300年にもなるセコイアの木がある。「この木をぐるっと囲むには、6人は必要でしょう。」建物も、元からあるままだ。アトリエと授業が行われる離れと納屋。豚小屋、農場、川べりにテラスが張り出した水車小屋。昨年日本から移築された、1860年代の古い茶室。
「これは、デザイナーの喜多俊之氏のサポートのおかげで実現したプレゼントです。彼は8年間、ボワビュシェで教えてくれていました。」その他にも、コロンビア人シモン・ヴェレスによる竹のパビリオンと家。日本人坂茂による紙管のパビリオン。これは彼がメッスにポンピドー・センターの分館を建てる何年も前に、ヨーロッパで初めて建てた建築物である。


日常の物たち
未だに、というより常に、ものごとの出発は研究からだ。
「今、自然災害の被災者のために、壁材にストロー(または、藁?)と再生プラスチックを利用した避難所を作れないか研究中です。5〜10年間使用できるもので、予算240ユーロ程度でおさまるのが理想です。大抵の場合、自然災害が起きると被災者は3〜4年間、仮設テントに住むことを余儀なくされます。しかし慣れていないと、そんな住まいは機能しません!社会生活が成り立たなくなってしまいます…」さあ、これがボワビュシェです。建築家、ランドスケープデザイナー、アクセサリーデザイナー、ファッションデザイナー、プロダクトデザイナー、スタイリスト、エキシビションデザイナー、などなど、様々な分野の専門家がここに、短期のアトリエを開く。そして数ヶ月後、数年後には、彼らは新しい日常を描き出すだろう。敷地の門をくぐると訪問者たちは、過去へ、同時に未来へと旅することが出来る。ここは有名無名を問わず、全ての人々を受け入れる場所だ。


「展覧会/アルミニウムの詩… 」
ブラシをかけられ、サンドペーパーをかけられたアルミ。傷をつけられたものや、型どりされたり、つなぎ合わされたものもある。インダストリアル・デザイナーの大西静二氏と、アーティストでギャラリストの澄敬一氏は、長年使い込まれて摩耗したアルミニウムをきれいにみがく。アルミ製の日用品の数々。彼らの情熱の結実が、訪問者を待ち受けている。リノベーションされないままのシャトーの1階に、約200点に及ぶおもちゃや台所用品、その他の日常の道具が夢のように並んでいる。これらはすべて1910年〜1960年代、つまり第二次大戦後、戦闘機などの廃棄された素材を再利用して、日本で製造されたものだ。壁には当時の生活風景を映し出すモノクロ映像が流れ、漢字が書かれている。乾ききった木部、塗装のはげた石組み、亀裂の入った壁の部屋に、鈍いグレーのアルミニウムが並ぶ。紙と段ボールでできた展示台は、会場構成を担当したニューヨークのパーソンズ・デザインスクールから招かれた学生たちによるものだ。シンプルで、効果的なレイアウト…詩的である。この「裸形のデザイン」はボワビュシェで展示を終えた後、各国を巡回する予定だ。