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写真

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Uta Barth


今から13年前の97年、チラシの写真に惹かれて、
渋谷のパルコギャラリーに行った。(パルコ・ギャラリーか……懐かしいな)




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Luigi Ghirri


3人の写真家による展覧会…
タイトルを忘れてしまったので、調べてみると
ボードリヤール、ギッリ、バース写真展 − 消滅のアート」展、だったそうだ。
なるほど、消滅か……



Jean Baudrillard



ウタ・バースもボードリヤールの写真も初めてみるものであった。
ギッリは、イタリアの建築家アルド・ロッシの作品を撮ったものは見ていたが、
ウタ・バースは、初めての作品集も未だ編集中だったようで、予約をして手に入れた覚えがある。


うろ覚えだが、当時のバースへのインタビューで、
「間違ってピンぼけの写真を撮ってしまったが、それが自分らしいと感じて、
それ(ピンぼけを)を続けている」と語っていた(と思う)


数年後、ギッリの写真集は、とある私設ギャラリーのためにすべて探して揃えた。
「Atelier MORANDI」も、モランディの静物画のモデルとなった「布置された瓶」やアトリエの設えへの興味というより、
「ギッリのバランスとトーン」を欲して、本棚に並べたものだった。
当時は、ギッリに夢中だったので、見ても外した同じモランディのアトリエを撮りためた作品集に、
Gianni Berengo-Gardinのものがある。ギッリの視線とは違うがこの写真家の構図も好いと最近は思う。




そして、13年前は「よくわからなかった」ボードリヤールの写真…





なぜ、昔見た「ボードリヤール、ギッリ、バース写真展 − 消滅のアート」展の話を今ここに書いているのかというと、
西武の堤清二が、「ジャン・ボードリヤールの消費社会への批判を読み“無印良品”をつくった」
という数年前の記事を最近読んだからである。



”何だか惹かれるな”という写真や美術作品を見て、「その人(作家)は、普段どんな生活をしている(いた)のだろう?」と思う。


<父はよく家にいた人だという印象がある。やわらかい室内履きと、フランネルのシャツ、
頭には緑色の小さな、ボート競技でかぶるような帽子。部屋はいつも寒かった。
朝のこと。彼はキッチンで青いポットでコーヒーを沸かし、ガスオーブンでパンをあたためる。
ライ麦入りのパンでいくつかの小さなトーストを作り、その上から塩をかける。
「コーヒーがはいったぞ、起きなさい、朝食だぞ」と言いながら家族を起して回るのは彼の役目。
でも母のヴァルヴァラは、前の晩に夜中まで働いていたのでなかなか起きられず、答えがない。……
しばしの沈黙……「じゃあコーヒーをポットに戻すぞ」……また沈黙……
「新しくいれなおしてやったぞ」……>
アレクサンダー・ロトチェンコの娘ヴァルヴァラ・ロトチェンコ 「ロトチェンコの実験室」より


どんな芸術家も食べて眠る。
作品に掲げられた表題や、説明なんかでは「本当のことは」わからない。
それで、自伝や評伝を読んだり、対談を読む。




その人にとっての「ユートピア」とはどんなものだろう?




「僕には、こう見えるんです」
と、自分の撮った写真を指差してある写真家が言った。




http://www.ubishops.ca/baudrillardstudies/vol4_1/photo.htm
『消費社会の神話と構造』を描いたジャン・ボードリヤールには、こう見えていたんだ。





澄 敬一