petit-cul’s blog

old tools & cloth products atelier shop

「備えあれば憂いなし」

部屋がモノでいっぱいになる。
よく見るとその部屋を占めるモノは、
家族で住んでも一人暮らしでも「備え」のために準備したモノが多い。
日常に使う道具類とは別に、もしもの来客のためにと用意した、テーブルや椅子、食器が幾つもあったり、
見せるための装飾品、コレクションの数々…
もう着る事もない仕舞い込んだ衣類は「自分達ではもうサイズが合わないが、そのうち子どもや従兄弟に…」とか。
「(要らないのに)おつきあいで買った」それも、友人を「備えるため」もあるだろう。
国土が小さく資源が少ないから蓄えるのか。




引っ越し、新社会人シーズンの「春」と「秋」が雑誌ではインテリアの特集が組まれていた…
というのは昔の話。
今では年中「すてきなインテリア」である。
「春/秋」には、国内外のモデルやタレント、著名人の部屋が紹介され…
というのも昔の話。
今では…あなたは誰なの?


メディアに載るために部屋や生活を整える。
それもいいだろう。
誰かが来るとなると念入りに部屋を整え掃除をする、「結果それは自分も気持ちが好い」のだから。





今から15年ほど前に出版された「地球家族―世界30か国のふつうの暮らし」という写真集がある。
ドイツ人写真家の Peter Menzel 氏が、世界30カ国あまりの平均的な家を訪れ、
持ち物の家財道具のすべてを家の前に出して家族と一緒に撮った写真を集めたものだ。
突出して家財道具が多いのはアメリカと日本である。
他の国は、本当にわずかな道具でまかなっている。
実際、うちも家財道具は…多い。
「…こんなにお皿やお茶碗が必要なのか?」
ということでしばし「論議」をする。
そして今、「仕分け」の時代でもある。




]

イギリス、ロンドン.アイオットセントローレンス村にある
劇作家ジョージ・バーナード・ショーの邸宅の庭の一角には、彼が執筆するために用意した
小さな小屋がある。作り付けの机、藤製の椅子、簡易ベッド、電話、ストーブ、ゴミ箱が、一坪程度の小屋に収まっている。
太陽の向きに合わせて小屋の向きを変えることも出来る。



[

こちらは、アメリカ・マサチューセッツ州コンコード村の郊外ウォールデン湖のほとり。
作家・思想家・詩人・博物学者のヘンリー・デイヴィッド・ソローの一時借りの住まい。
ベッド、テーブル、机、椅子3脚、暖炉…がある4.5坪の住まいである。


これらは、もちろん「独りの住まい」であり、「簡易的なもの」である。


「ショーの小屋」は、壁や作り付けの机はアイボリーで塗られ、ほんの少しだけ電話の黒や、椅子やベッドが、
原色では無い淡い色を塗られている。クローゼットは無い。
1850年代に数年暮らした「ソローの小屋」には、シェーカー教徒、もしくはイングリッシュと呼ばれた移民が
拵えたカラフルな椅子やテーブルがある。屋根裏には衣類などを収納していたのだろうか。


さて…


モノが無い、所有しないで生きて行く方法の一つは、共同生活であろう。
それでいて「自然に囲まれた中で美しく」ということを考えてみると、戒律や一種の型をもつコミューン、
例えば海外ならアメリカ、「シェーカー」と「アーミシュ」が思い浮かぶ。
M・ナイト・シャマラン監督の2004年のアメリカ映画「ヴィレッジ」は、アーミシュの村をモデルとしている。


映画「ヴィレッジ」のような生活に憧れウォール街でのヤッピーを辞めてアーミシュなどのセクトへ帰依した人びともいるという。


「アーミシュ」と「シェーカー」の違い…
を、宗教理念では無く、表層で観てみよう。



明色のけばけばしい、流行にあった、慎みのない絹様の衣服は、それがどのようなものであれ許されない。
明るい色、オレンジ、黄、ピンクごとき色はいけない。…
高価な日用の衣服は慎むべきである。膝と床の中ほど、ないし床から8インチ以上の短い服は許されない。
長いものほどのぞましい。…
アウトポケットは仕事着またはオーバーコートに、一カ所のみ許される。靴はいかなる場合でもプレインでなければならない。
ハイヒールや飾りスリッパを用いてはならない。黒以外のソックスの着用もゆるされない。単純な飾りもなく、バックルもない
サスペンダーを着用のこと。帽子は黒でなければならない。巾3インチ以上のつば、および極端に高いものは許されない。
いかなる帽子も粋(stylish)な印象をあたえるものはいけない。プレスしたズボン、シャツも許されない。
祈祷用キャップは質素なもので、頭に合うものを着用のこと。できるだけ髪を覆うものでなければならない。
絹のリボンは許されない。子どもの服装も両親と同じく御言に適うものでなくてはならない。ピンクや派手なベビー服や
帽子も許されない。女性は公衆の面前では、ショール、ボンネット、ケープを着用すべきである。いかなるときにも、
エプロンをつけなければならない。男性は髪を分け、女性はカールやウェーブをつけたりという髪に飾りをしてはならない。
男性はあごひげを充分にたくわえなければならない。少年も受洗後はできる限り、それをならうべきである。髪を短く刈ること
は許されない。長さは少なくとも耳のところまでくること。
<アーミシュ研究 坂井信生著 教文館 1977年より抜粋>


「華美に飾ってはならない。神に仕える聖なる女性として、服装においても上品に、慎み深くありなさい。」
<シェーカー/マザー・アン・リー


アーミッシュ(アーミシュ)では、衣類に関しては、強力な戒律下にある。
シェーカーは、手持ちの衣料研究本の資料が豊富では無いので、はっきりとは言えないが、
幾色ものストライプ柄シスターのネッカチーフ、赤い別珍のキルト頭巾、刺繍入りの手袋など、
他の写真等を見ても衣類には、「節度がある上品さ」があれば良いようである。



アーミッシュでは、建物には華美な装飾はしない、豪華な家具や品々は持たないとはあるが、
家具に関しては、それほど禁欲的では無い。
原色のキルトは有名だが、衣類では無い。
シェーカーは、「美は有用性に宿る。高い利用性を持つものは、同時に偉大な美を有している」
「有用性に支えられていないすべての美は、やがて味気ないものになり、いつも目新しい代わりのものが必要になってくる」
「すべての力は形を生む」とのマザー・アン・リーの言葉は、道具や建築に対しての強力なスタイルを持っている。


アーミッシュは、洋服の装飾は×、家具や建築は、まぁ○
シェーカーは、洋服の装飾は、まぁ○。家具や建築は、×
さて、この違いは何だろう。
単純で明快では無いが、「創始者の性の違い」だと思っている。


1736年に、イギリスのマンチェスターで生まれたアン・リーは、その後結婚して授かった子供を4人相次いで亡くしている。
その前後にシェーキング・クエーカーに入信、そして彼女は、マザー・アンとしてシェーカー教を起していく。
亡くなるまでに、教団内での恋愛、結婚を禁じ禁欲的な空間を啓示してもなお、衣類までは家具や、
アーミッシュの衣類と同じように禁欲的にはしなかった。
衣類の差異には「有用性」は無いのにもかかわらず。
それはアン・リーが女性であったからに他ならない。


アーミッシュ創始者は、諸説あるが(ヨーロッパ・アーミッシュアメリカ・アーミッシュ、新派、旧派、
多数のセクトのため複雑)ヤコブ・アマンなど男性である。
オルドゥヌンクという戒律が快楽を感じることを禁止してはいるが、恋愛、結婚を許され、
子だくさんである。イスラムにある、女性を覆い隠すという同じ戒律は遊牧民という狭く閉じた結婚から生まれた
特殊事情からではあるが、やはりイスラム教も男性が成立させた宗教なのだろう。



アーミッシュやシェーカーのような暮らしに憧れています…」
本当に?




シェーカーは、制作した家具は、薬などともに、イングリッシュと呼ばれるキリスト教徒へも
販売した。当時からエピゴーネン(まがいもの/コピー)の販売が横行した。



メイン州にあるサバスディレイクにあるシェーカー村を、
日本から訪ねた折り、「シェーカー家具を作っています」と自己紹介したら
「シェーカー家具は、シェーカー教徒が作るものだよ」と言われたと
アリスファームの藤門弘が、「シェーカーへの旅 住まいの図書館出版局 1992年」
にて記述している。
修道院、シェーカー、アーミッシュ…etcの道具をコピーし、商売にしている日本の工芸家
ギャラリーや道具屋は、それらを批判もしない。



「万物は借り物である」という思想。



誰に、生活・生き方を見てもらいたいのか?




澄 敬一